気づいたときには、もう自信がなくなっていた。
何か大きな失敗をしたわけでもない。
誰かに強く否定されたわけでもない。
それでも、いつの間にか
「自分は大した人間じゃない」
そんな感覚が当たり前のように居座っていた。
20代の頃は、もう少しだけ自分を信じていた気がする。
根拠なんてなかったのに、不思議と不安も少なかった。
でも40代になった今、同じようには思えない。
静かに増えていく違和感
40代の不安は、若い頃の不安とは少し違う。
何かに追われているような焦りではなく、
じわじわと染み込んでくるような感覚に近い。
このままでいいのだろうか。
この先、どうなるのだろうか。
明確な問題があるわけではない。
それなのに、妙に落ち着かない。
周囲を見れば、
順調そうに見える人もいれば、
大きな変化を起こしている人もいる。
比べたくなくても、視界には入ってくる。
そして、比べるたびに
自分の輪郭が少しだけ薄くなる。
自信が消えた理由を探していた
しばらくの間、私はこう考えていた。
年齢のせいだろうか。
能力が足りなかったのだろうか。
努力が足りなかったのだろうか。
理由を探し続けていた。
自信がなくなった原因を特定できれば、
何か対処できる気がしていたからだ。
でも、どれだけ考えても
しっくりくる答えは見つからなかった。
そもそも「自信」とは何だったのか。
それすら曖昧になっていった。
社会から少し距離を置いていた時間
ここ5年ほど、私は引きこもり気味の生活をしていた。
積極的に外へ出るわけでもなく、
誰かと頻繁に会うわけでもない。
時間だけが静かに過ぎていく。
最初は、罪悪感のようなものが強かった。
このままではいけない、という焦りもあった。
でも不思議なことに、
ある時期から感覚が少し変わっていった。
社会との距離が広がるにつれて、
他人との比較も減っていく。
代わりに増えていったのは、
自分の内側と向き合う時間だった。
良くも悪くも、逃げ場がなくなる。
そこでようやく気づいたことがある。
自信がなくなったのではなかった
ずっと、自信を失ったのだと思っていた。
でも今は、少し違う解釈をしている。
自信がなくなったんじゃなくて、
現実がちゃんと見える年齢になっただけかもしれない。
若い頃の自信には、
勢いとか、錯覚とか、根拠のない期待が混ざっていた。
それが悪いとは思わない。
むしろ、あの感覚があったからこそ
動けたことも多かった。
ただ、年齢を重ねると
見える情報量が圧倒的に増える。
リスクも、難しさも、限界も、
以前よりはっきりと見えてしまう。
それは「劣化」ではなく、
単に視界が広がっただけなのかもしれない。
怖くなっただけなのかもしれない
できなくなった、のではない。
ただ、簡単に踏み出せなくなった。
それだけのことかもしれない。
経験が増えた分、
軽率に動けなくなるのはむしろ自然だ。
それを「自信喪失」と呼んでいただけで、
実態はもう少し違うものだった気がする。
慎重になった。
現実的になった。
ただそれだけ。
新しい自信の形
若い頃の自信を取り戻そうとすると、苦しくなる。
あの頃とは前提条件が違うからだ。
でも、別の形の自信なら作れるのかもしれない。
大きな確信ではなくていい。
絶対的な自己肯定でなくてもいい。
迷っても進める。
止まっても戻れる。
そんな柔らかい感覚。
40代の自信は、
もしかするとこのくらいの方が自然なのかもしれない。
まとめ
自信がなくなった。
そう感じること自体は、たぶん珍しくない。
でもそれは、
何かを失った証拠とは限らない。
見えるものが増えただけかもしれない。
幻想が剥がれただけかもしれない。
そう考えられるようになってから、
少しだけ呼吸が楽になった。
もし同じ感覚を抱えている人がいるなら、
一つの見方として置いておきたい。
自信が消えたのではなく、
形を変えただけなのかもしれない。

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